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155件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2015-08-06 第189回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第6号

それから、これまた先輩の宮沢賢治も、彼は童話作家、詩人ということでありますけれども、岩手はたびたび冷害があって農業が厳しい、そういう中で、自分農学校を出たものですから、土壌の改良だということで、石灰石の採掘ということで、その採掘したところが、岩手の一関市の東山町の陸中松川というところの駅の近くの工場でありまして、そこで働いて、その駅周辺のことをたびたび書いておるところであります。  

黄川田徹

2009-06-24 第171回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第8号

そういうことを思い出しながら、また時代がいよいよこれから基盤を整備していこうというときには、日本の近現代史を見たときに、札幌農学校ができて、それでそこにクラーク博士アメリカから迎えた。彼はそんなに長期はいないんですね。一年近くか一年前後ぐらいですよ。ところが、どれほどその後、日本北海道と関係ないところの青少年たちにも大きな夢を与えたか。  

山内徳信

2007-12-13 第168回国会 参議院 外交防衛委員会 第12号

○国務大臣(町村信孝君) ちょっと違う話ですけれども、今思い出したんですが、札幌農学校クラーク博士が、学校を開いたときに、当時の明治政府のお役人が事細かな学則、学校の規則を原案として作って、クラーク総長ですかな、学長にお見せしたそうであります。そのときクラーク博士は、こういうものは要らないと、ビー・ジェントルマン、紳士たれと、その一項だけでいいと。

町村信孝

2007-05-16 第166回国会 衆議院 教育再生に関する特別委員会公聴会 第1号

ちなみに、明治の初めに、高等教育機関、昔の、札幌農学校前身開拓使学校でありますとか、東大前身工部学校、それから一橋の前身商法講習所、こういうところへ五百人のお雇い外国人教師を呼んだわけですね、先生がいないと。そのうち三百五十人が英国から来ましたが、そのほとんどに、当時の伊藤博文首相よりも高い給料を払っているわけです。それをやっただけに物すごい一流の人が来た。

木村孟

2006-04-12 第164回国会 参議院 少子高齢社会に関する調査会 第6号

私は実は農学校出身で、家畜も育て作物も育て、物を育てることの重要性と物を育てることの喜びと、またそういうことを非常に実感してきているんですが、都会の人はそういうことが余り実感できていないんですね。よって、本当に子供を産んで育児が本当にすばらしい仕事だと、こういうことが本当は実感できるのが私は最大の少子化対策だと思うんですね。  

品川芳宣

2006-03-16 第164回国会 衆議院 農林水産委員会 第5号

北海道は、札幌農学校ができまして、大学で試験研究教育も普及もみんなやっていたんです。それで、都市化してきたんで、今、見晴らし台があるところに試験研究所が移ったんです。それで、戦後どうなったかというと、もう一つ転機が訪れるわけです。GHQが、やたら地方自治確立ということで、どうしても北海道でも道立試験研究機関をつくらなければいけないというふうに圧力をかけてきたわけです。

篠原孝

2005-04-14 第162回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号

田村秀昭君 昭和十七年というのは戦争中でしたけれども、我が国は南方特別留学生制度というのをつくりまして、東南アジアの若い青年を東京と座間の陸軍士官学校と、それから宮崎農学校に研修をさせた制度がありました。その卒業生の一人にマレーシアのラジャー・ダト・ノンチェックという上院議員がおります。

田村秀昭

2001-05-29 第151回国会 参議院 農林水産委員会 第12号

先ほども言いましたように、農学校の同級生で集まった組織があるんですが、そこでの議論は、いや、もっと将来増額するように運動しようというふうに、むしろそういう方向なんですね。このままでいいなんというふうにはだれも言っていません。ましてや削減されることは、これはだめだというのが、多分こちらの参考人の方々も地域に帰ればみんなそういうふうな話を受けるだろうというふうに思っています。  

佐々木健三

2001-03-09 第151回国会 衆議院 文部科学委員会 第5号

クラーク博士ボーイズ・ビー・アンビシャスという、あの札幌農学校クラーク博士はたくさんの種を青年たちにまいていったわけでございますけれども、一期生は何と二十四人でございました。教育改革国民会議の座長の江崎玲於奈さんも一クラス二十四人ぐらいがいいのではないかと言われておりましたし、また、元文部大臣の有馬さんも三十人ぐらいがいいのではないかというふうに言われておりました。  

山谷えり子

2000-08-09 第149回国会 参議院 外交・防衛委員会 第1号

田村秀昭君 時間がありませんので、また外務大臣のお話を承りたいと思いますが、一つ戦時中、南方特別留学生制度というのがございまして、御承知だと思うんですが、アジアの人たち日本に呼んで東大陸軍士官学校宮崎農学校教育をした、勉強をした。それで、その人たちが戦後、各国に帰って指導者になり独立をかち得たという事実があります。

田村秀昭

1999-05-25 第145回国会 衆議院 農林水産委員会 第16号

そういいますのも、かつて私、北欧の農学校、園芸学校で学んだ経験がございますので、一つに、そういうような向こうの農業形態をイメージしているからでもあります。  そういう観点からいたしまして、北海道が三割農政に、農家数が減少した、それも膨大な負債を背負っての結果だといいましても、しかし数字から見ますと、EUの農業形態と大体対抗できる数になってきている。

菅原喜重郎

1998-04-02 第142回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

そこで、昔の北海道のいわゆる札幌農学校ですけれども、あそこで傑物を出したクラーク博士は何と言ったかというと、実りある教育はどれだけ多くの知識を与えるかではなくて、どれだけすぐれた人間を育てるかにあると。乱暴な言い方をすれば、猿を人間にするのが教育なんですよ。猿のまま知識を与えるからろくでもないことをやるんです。それだけのことなんです。それを既に間違っていたということです。

内藤宏

1993-11-19 第128回国会 衆議院 文教委員会 第1号

これは先生承知のように、明治時代教育者アメリカから来られて、北海道の現在の北海道大学の前身である農学校に働かれて、教育に携わられたクラーク博士ボーイズ・ビー・アンビシャスという言葉が、まさに日本語でいえば志は高く、大志を抱けというふうに訳されているかと思いますが、私なりに言えば「志は高く」だというふうに思っているわけでございます。

赤松良子